2007年9月11日 (火)

ひき潮

  最近の記事の傾向とはまったく無関係なのだが、少し秋めいてきたので矢沢永吉ソングについてとりとめのない話を少し。私の年代で矢沢永吉ファンは結構いると思う。

 私は今年55歳、いいオヤジである。永ちゃんの歌にとりつかれたのが25歳の時だったから、かれこれ30年も永ちゃんソングを聴いてきたことになる。若い時は「バイバイ サンキュー・ガール」のようなロック調の歌も好きだったが、歳が行ってもよく聴いていたのは、やっぱり彼のバラードである。初めてファンになったころは、武道館ライブに行って生の永ちゃんを堪能したが、彼の人気がうなぎのぼりになってくると、チケットの入手が難しくなり、なかなかライブに行けなくなった。そこで、当時はカセットテープで彼の歌を聴いていた。当時のE・YAZAWAのロゴ入りバスタオルやTシャツ、その他の永ちゃんグッズが押入れの奥に仕舞い込んである。私が好きな永ちゃんのバラードを挙げたら、あまりたくさんあって羅列不能である。

 永ちゃんの作曲したメロディは彼独特の際立った世界を持っている。いわゆる矢沢メロディである。永ちゃんファンは例外なくその世界に耽溺している。その中で私が好きなものを強いて言えば、「LAHAINA」、「棕櫚の影に」、「エイシャン・シー」、「SEPTEMBER MOON」などである。私は海の情景が強く出ている歌では「ひき潮」が最も好きである。この歌はメロディも詞も過ぎ行く夏の切なさがよくあらわれていて、心にしみる。

 ふと秋めいた風が肌にまとわりついたら、どういうわけかこの「ひき潮」が無性に聴きたくなった。比較的最近出た永ちゃんのDVDで「ROCK OPERA2」というのがあって、オーケストラをバックに彼が歌っている。非常にクオリティが高いサウンドである。この中に収録されている「ひき潮」がひときわ秀逸なのだ。力強く伸びやかに歌っているのは若いころと変わらないのだが、永ちゃんは年齢に応じた深みをこの歌に加えている。この叙情性がたまらないのだ。永ちゃんの歌はみんな持っているよという人でも、このDVDを聴いていなければ是非お勧めする。30年前の永ちゃんの曲とは思えない進化(深化)を経験できるだろう。



 さらば夏よ つらい恋よ
 あたなただけは幸せに

 あなたとたたずむ渚はもう秋
 一晩ばかりのわかれは終わった
 海よ わかってくれ たった一度だけの
 いのちもかけたそんな愛を

 振り向くあなたの 別れの叫びを
 むなしくかき消す冷たい潮騒
 海よ 笑ってくれ 命賭けた人を
 奪ってゆけない弱い俺を

 こんなさよならになるとわかりながら
 真夏のめまいに負けた二人

 さらば夏よ つらい恋よ
 あなただけは幸せに 
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2006年8月31日 (木)

ドリ・カイミの「アマゾン・リバー」に思う

 毎日ニュースを観ていると、背筋が寒くなるようなおぞましい尊属殺人
や傷害事件、外国人犯罪などが林立している。これだけ次々と昔はなか
ったような犯罪が目白押しになってくると、いささか麻痺してくる感じもあ
る。16歳の少年が母親を刺殺したなどということを聞いても、またかとい
う思いで受け止めている自分に気が付いて恐ろしい。

 日本人という民族の退嬰化と国家の凋落は凄まじい限りだが、凄惨で
暗いニュースだけに囚われていると精神衛生上良くないのでたまには音
楽のことを書きたい。

 この間の日曜日、夕方にボサノバで有名な小野リサのコンサートを聴
きに行ってきた。場所は河口湖に近い富士山スバルラインの上り口付近
にあるステラシアターという半円形の屋外劇場である。ローマのコロシア
ムを上から半分に断ち切ったような劇場で、閑静な森の中にあった。

 「SUNSET BOSSA」という名目だったので、富士山麓のカラマツ、アカ
マツ林の深い森で、夕暮れ時の静寂と残照の光の中でボサノバを聴こ
うと思った。ところが、近くの劇場で「氣志團(きしだん)」というグループ
のコンサートがあって開演が同期した。静かで上品なブラジル音楽が、
氣志團バンドの粗野(笑)な音圧で邪魔されてしまう。氣志團には縁も
ゆかりもないし、若い人々が彼らを楽しみに来ているからそれはそれで
いいのだが、会場が近すぎるというのはいただけない。その上、小雨が
容赦なく観客を襲い、ビニール製の合羽を着ていてもじんわりと身体が
冷えてくるのはどうしようもなかった。夏とは言っても標高九百メートルを
越えている山麓である。

 思い描いていた夕暮れ時のロマンティックな音楽というシチュエーショ
ンからは大分おもむきが違っていたが、そういうコンディションの中でも、
小野リサの美しい歌声にはひと時の安らぎを十分に与えてもらった。ゲ
ストとしてブラジルのボサノバの大御所であるドリ・カイミ氏が来ていた。
この人が何曲か歌った。正直、私はドリ・カイミを知らなかった。この人の
ギターと歌唱を聴いて素晴らしい音楽家だと即座に思った。その深い音
楽的センス、その独特な歌い方はブラジル音楽の本質だと感じた。この
人はかの偉大なアントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトにも
劣らない傑出したボサノバ音楽家だと断定できる。

 特にドリ・カイミ氏が最後に歌った「アマゾン・リバー」には圧倒されて
涙が止まらなかった。この音楽はもちろん初めて聴いたのだが、単なる
ボサノバのジャンルを越えていて歴史的な名曲と言えるだろう。雄大な
アマゾン川の自然を魂から賛美する気持ちが満ち溢れていた。これは
ボサノバという軽音楽の次元を超えていてもはや崇高な交響詩に近い
ものである。こんな音楽を私はかつて一度も聴いたことがない。ある主
題的な旋律が転調をもって繰り返されているのだが、無限旋律とはこ
ういうものを言うのではないだろうか。これに比べたらワーグナーの「タ
ンホイザー序曲」などは子供だましであろう。これに比肩できる音楽が
何だと問われたら、私はJ・Sバッハの「フーガの技法」しか思い浮かば
ない。つまり、私自身の中では音楽の最高峰に位置する作品だと捉え
ているのである。

私の好きな矢沢永吉の「愛しい風」というバラードの歌詞にこういうのが
ある。

 ・・人の河は 眠りに着くまでの 果てない旅さ・・

 河というものは、上流から下流に、そして海に向かって滔々と流れる
一方向の道程であり、それはけっして遡及できない時間の流れでもあ
る。だから、河はしばしば比喩的に人生に形容されることが多い。ドリ・
カイミの「アマゾン・リバー」という歌も、向こう岸が見えないほど巨大で
深いアマゾン川の悠久の流れに自己を融け込ませ、人間の生という
もののはかなさと深さを魂の底から謳い上げている。正直言って、この
曲を聴いていると人生の始まりから終着点に想いがめぐり、何とも言い
がたい寂寥感、孤独感もあるのだが、心が巨大な流れに圧倒され、い
つまでもその曲に浸っていたい気分が強くなる。旋律と全体の曲想の
流れに吸い込まれてしまうのである。このような音楽は初めてである。

 音楽のことを語っているのに堅いことは言いたくないが、日本人の日
本人たる所以は、日本的山河や海に包まれた自然の性格からくる民族
性が大きい。それは母なる自然の安らぎから得た温和な性質、季節の
移り変わりを見て培った無常観や瞑想的性格があり、これらは日本人
特有のもののあはれとして身に付いたものである。また、時には自然
の猛威から得た武人的な猛々しさもある。「アマゾン・リバー」にかもし出
されている自然と人間の魂の融合こそ、今の日本人にすっかり忘却して
いるものである。ドリ・カイミ氏がいかにブラジルの自然を愛しているか、
この曲一つでも十分に伝わったのである。私はこの歌のCDを今探して
いるが、おそらくこの歌を繰り返して聴くと、自分の日本人としての魂の
有り方を深く想起できるだろうという気がしている。それほどまでに、こ
の歌が私にもたらした衝撃は深かったのである。

本当にいいものにめぐり逢えた。この日、雨にも濡れたが涙にも濡れ
た。そういうわけで、冷え切った身体を感動で包みながら帰宅したので
あった。

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